遊びに夢中だった20代
20代の私は、とにかく遊びにしか興味がなかった。
仕事はしていたが、どこか他人事のようにこなしていた記憶がある。
一所懸命にやりたい気持ちは確かにあった。しかし、当時の職場は、女性が評価されるような場所ではなかった。
「女の子はサポート役でいい」
そんな雰囲気が当たり前のようにあった。今の時代とは違う。
それでもプライベートはとても楽しかった。
小中高、短大時代の友人たち、そして職場でできた友人たち。どういうわけか、友達の輪はどんどん広がっていった。
友達の友達は、いつのまにか自分の友達。
遊びの予定がダブルブッキングになることもしばしばだった。
今、街でばったり会っても、きっと顔を思い出せないくらい、多くの人と笑い、語り、出かけていた。
とにかく「楽しい」が日々の中心だった。
結婚・出産、そして海外との仕事が始まった30代
30歳前後で結婚・出産を経験した。
同時に、職場で海外取引を担当するようになった。
これが、私の人生を大きく動かす転機となった。
輸出入に関わる仕事は、わからないことだらけだった。
英語でのメール、貿易書類、商習慣、文化の違い……
毎日が“はじめて”の連続で、失敗もたくさんあった。
でも、不思議なことに、それがとてつもなく楽しかった。
知らないことを知っていく喜び
わからないことを、そのままにはしなかった。
専門家に話を聞き、自分でも調べ、必死で学びながら仕事を回していった。
気づけば、自発的に勉強を重ねていた。
「こうしたらもっと効率よくなる」「これを知っておけば先回りできる」
知識を得ることが、すぐに仕事に活かせる。
そんな手応えが、学びへの意欲を強くしてくれた。
家庭と仕事に追われながらも、充実していた
一方で、家庭も忙しかった。
子育て、家事、保育園の送り迎え、夜中の発熱、休日の行事。
朝から晩まで、分刻みで動いていた。
寝る時間を削って、次の日の保育園の準備や仕事に活かすための勉強をした。
だけど、不思議なことに「つらい」と思わなかった。
むしろ、あの頃の私は、生きている実感に満ちていた。
目が回るような日々の中で、確かに自分の存在を感じていた。
無我夢中で走り続けていた30代は、まぎれもなく充実した時間だった。
40代になって感じる“静けさ”と物足りない
40代になった私は、家庭にも仕事にも余裕が持てるようになった。というより、余裕だ。
そして、どこかで物足りなさを感じていた。
あの頃のような熱量、没頭する感覚はない。
仕事も家庭も落ち着いている。
だけど、心の中には、ぽっかりと穴が空いたような感覚があった。
だから私は、40代で大学受験を決めた
このまま、少しずつ穏やかになっていく日々を受け入れるのか――
そんな思いがよぎったとき、自分の中で何かが騒ぎ出した。
「まだ終わりたくない」「もう一度、自分を試したい」
その衝動に従うようにして、私は40代で大学編入試験に挑戦することを決めた。
若い頃、受験勉強はあまりしなかった。
だからこそ、「一所懸命に受験勉強すること」への渇望というか後悔が、自分の内側にずっと眠っていたのかもしれない。
仕事で身につけた実務的な知識はあったが、体系立った学問として学び直す機会はなかった。
それを、今の自分の手で取りに行きたかった。
最初は、「今さら学生?」という気持ちもあった。
年齢の壁や、記憶力の衰えに不安も感じていた。
けれど、勉強を始めてみると、知らないことを知っていく過程が、ただ純粋に楽しかったのだ。
塾に通い、オンラインで、受験勉強に向き合う日々。
誰に強制されたわけでもない、自分の意志で選んだ「受験勉強」は、かつてないほどに心を燃やしてくれた。
没頭できるものがある人生は、幸せだ
編入試験に合格し、大学生としての生活が始まったとき、私はまた「目が回るような日々」を手に入れた。
講義の予習・復習、レポート、ゼミ活動。
学生たちとの年齢差に戸惑うこともあったが、不思議と居心地は悪くなかった。
なぜなら、自分が今ここにいる意味を、誰よりも強く自覚していたからだ。
学び直しは、自分にとって「もう一度、人生を走り出す」ための再点火だった。
没頭できることがある人生は、やはり豊かで、幸せだと思った。
忙しいことが幸せだったと、今なら言える
30代の私には、余裕がなかった。
毎日が必死で、ときに混乱し、泣きたい夜もあった。
だけど今振り返ると、あの頃の“忙しさ”が、自分にとっての幸せだったのだと実感している。
学ぶことにワクワクし、人と関わることに感動し、何かを成し遂げるたびに自信を積み重ねていったあの時間は、まぎれもなく人生の宝物だった。
だからこそ、私は思う。
これから先の50代、60代も、ただ「穏やか」で終わりたくはない。
また何かに熱中していたい。何かに没頭していたい。
それが、別の形であってもいい。
忙しさの“種類”を変えていけばいい
若い頃のように、無鉄砲に突っ走ることはできない。
でも、今の私には、経験も知識もある。
だからこそ、“自分で選んだ忙しさ”をつくっていけばいいと思っている。
それは、学び直しでもいいし、起業でもいい。
ライフワークとなる何かに取り組むのでもいいし、人を支える活動でもいい。
「心が動くこと」に、もう一度飛び込んでみたい。
最後に:40代は“整える”時間
20代は、感情のままに生きていた。
30代は、与えられた役割に全力で応えていた。
40代の今は、それらを土台にして、「これからの自分」を整える時間なのかもしれない。
今はまだ、何を始めるかは模索中だ。
でも、あの頃のような熱量を、もう一度取り戻すために、私は立ち止まらずに歩いていきたい。
「もう若くない」なんて言葉に縛られず、
「まだまだこれから」と、自分に言ってあげたい。
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