「もう遅い」「今さら始めても手遅れだ」─そんな言葉を、自分の胸に何度も響かせてきた。40代で受験勉強を始め、大学進学を目指すなんて、周囲の目は冷たかったり、勝手にハードルを上げられたりもした。
だけど、私は知っている。遅いのは遅いけど、「遅すぎる」というのは誰にもわからないということを。
諦めてしまえば、そこで終わり。動かなければ、何も変わらない。だからこそ、「とことん行けるところまで行こう」と決めた。
今回は、そんな40代の挑戦について、そして遅く始めることの意味について自分の思いを綴りたい。
「遅い」という言葉の重さ
40代になって大学進学を決めた時、真っ先に頭に浮かんだのは「もう遅い」という言葉だった。
若い頃に比べて記憶力も衰え、体力も落ちている。家族のことや仕事についての不安もある。時間の使い方だって自由ではない。
そんな状況で「遅い」という言葉は、決して励ましではなく、重い足かせのように感じた。
でも、それは自分で勝手に作り出していた壁でもあった。
「遅い」と感じることは、実際のスピードや状況とは別に、自分の心の中で起こる思い込みかもしれない。
遅すぎて手遅れかどうかは誰にも分からない
「遅すぎて手遅れ」という言葉は、諦めの言葉だ。
でも、その言葉の真偽を確かめる術は誰にもない。
試してみなければ、遅すぎるのかどうかはわからない。
たとえ何かに失敗しても、それは挑戦した証であり、手遅れではなく、次の一歩への足掛かりだ。
怖くてどうしょうもなかったが、前に進むことを決めた。
諦めていても何も始まらない
「遅いから諦める」という選択をしたら、そこでストーリーは終わってしまう。
人生は一度きり。途中で止める理由はない。
受験勉強も、大学生活も、最初はわからないことだらけで不安もあった。
だけど、動き出すことで見える景色は変わった。
努力の積み重ねが自信になり、少しずつ新しい自分が見えてきた。
「遅い」という壁は、行動することで少しずつ薄れていく。
行けるところまで行こう
だから僕は決めた。
「とことん行けるところまで行こう」と。
途中で疲れて立ち止まる日もある。迷って動けなくなる時もある。
だけど、また歩き出せばいい。
その積み重ねが、いつか自分の人生の大きな財産になる。
40代だからこそ持てる冷静さと経験も味方にして。
受験勉強と大学進学で変わった日常
普通の毎日に勉強が入ると、時間のやりくりが難しくなる。
仕事も家事も、勉強も。全部やらなければならない。
だけど、その苦労の中に充実感があった。
新しい知識を得る楽しさ。目標に向かって努力する充実感。
毎日が普通じゃなくなるけど、それは自分にとっての「生きている実感」だった。
未来はまだ自分で描ける
「もう遅い」と感じている人に伝えたい。
遅く始めたって、未来は変えられる。
人生は「遅すぎる」ことを恐れるよりも、「やらなかった」ことを後悔しない方が大切だ。
まとめ
遅いのは遅い。だけど手遅れかどうかは、誰にも分からない。
諦めていても何も始まらない。
だから、とことん行けるところまで行こう。
40代からの受験勉強、大学進学は、人生の新しい章の始まりだ。
遅いからこそ見える景色があり、遅いからこそ味わえる充実がある。
私はこれからも歩みを止めず、未来へ進み続けたい。
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