40代というのは、なんとも不思議な年齢だ。
若くはない、でも老いてもいない。
心はまだ動きたがっているのに、現実が“落ち着け”と制してくる。でも、私は思うのだ。
40代こそ「動く力」を持っている世代だと。
◆誰かのために生きてきた、それは本当にすごいこと
40代までの人生、多くの人が「自分以外の誰か」を優先してきたはずだ。
家族、職場、子ども、親。
自分のことはあとまわし。
それでもちゃんと日々をこなしてきた。
泣いてる暇も、迷ってる余裕もなく、なんとか立ってきた。
まずそれだけで、拍手ものだと思う。
私たちは、がんばってきた。
でも――ここからは、“誰かのため”ではなく、“自分のため”に動いてもいいんじゃないだろうか。
◆「今さら」は、動かない言い訳になる
よく聞く。「今さらこんな歳で」「もう遅い」「若かったら」
でも、それって全部、行動しないための言い訳じゃないだろうか。
変わりたいと思ってる。
やってみたいことがある。
でも怖い。うまくいくか分からない。人からどう見られるか気になる。
…わかる。私もそうだった。
でも、あるとき思った。**「このまま何もしなかったら、たぶん来年も同じことを言ってるな」**と。
だから、私は少しずつ動くようになった。
小さな一歩でも、ちゃんと“景色”は変わる。
何も大きなことじゃなくていい。
行きたかった場所に行ってみる。
会いたかった人に連絡してみる。
書きたかったブログを一本書いてみる。
動いた人だけが知っている世界が、たしかにある。
◆完璧じゃなくていい。むしろ「中途半端」でいい
動こうとすると、「ちゃんとやらなきゃ」「完璧にしなきゃ」と思ってしまう。
でも、それがまた自分の首を絞める。
私たち40代は、完璧じゃなくていい。むしろ、今さら“完璧”を目指す必要なんてない。
ちょっとだけやってみる。
途中でやめてもいい。
またやりたくなったら、戻ればいい。
「中途半端」も、「迷走」も、全部“行動した証”だ。
止まったままじゃ、迷いもできない。
◆周りがどう思うかより、今の自分がどう感じるか
行動するときにブレーキをかけてくるのは、大抵“誰かの目”である。
「え、あの人40代で今さら?」
「急にどうしたの?」
「そんなことして何になるの?」
…何にもならなくていい。
自分の心が動くなら、それが正解だ。
他人の目を気にして止まる人生より、
自分の心が動く人生を選びたい。
◆誰かを動かしたいなら、まず自分が動くこと
私は、このブログを読んでくれる誰かの背中を、少しでも押せたらと思っている。
でも、それと同時に、私自身もまた「行動する人間」でありたいと思っている。
「誰かの力になりたい」と思うなら、まず自分が動かなければ説得力がない。
キラキラしてなくてもいい。
失敗しても、転んでもいい。
かっこ悪いって笑われたって、ちゃんと生きてる感じがある方がずっといい。
人生は、まだ途中だ。
そして今の私たちには、「選び直す力」がある。
◆40代。もう終わりなんかじゃない。むしろ始まりだ
私は、40代がとても好きだ。
若い頃の無鉄砲さもない。
年老いた分別もまだない。
だけど、自分を取り戻すにはちょうどいい。
「何者か」になる必要なんて、もうない。
だけど「何かを始める」のには、ちょうどいい。
40代。
焦らなくていい。
でも、止まらなくていい。
歩く速度でいい。
まわり道してもいい。
でも、一歩だけでも、今ここから踏み出してみよう。
私は、これからも行動していく。
そして、この言葉が、あなたの背中をそっと押せたなら、それ以上の喜びはない。
おわりに
今日が、これからの人生で一番若い日である。
40代は、そのことに気づける年齢だ。
さあ、一緒に進んでいこう。まだまだ面白くなる。
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