さぁ!人生をおもしろがろう

40代(ミドル世代)で大学生になった筆者がリアルに語ります!

45歳で大学受験をした私が、短大時代を思い出してみた

卒業後&その他

今年、私は48歳で4年制大学を卒業した。
45歳で学び直しを決意し、最後までやり遂げたことに誇りを感じている。

この記事では、20代前半、短大に通っていた頃の“学生だった私”を思い出してみようと思う。


◆「とりあえず短大」という選択だった

私が最初に進学したのは、いわゆる“女子短大”だった。
進路に迷いながらも、「4年制大学は就職が難しい」という親の言葉に背中を押され、2年で卒業できる短大を選んだ。

正直、学びたい明確な分野があったわけではなかった。
就職のため、「とりあえず」の進学だったと言っていい。


◆友達、恋愛、アルバイト…忙しくも楽しかった毎日

短大時代の生活は、ぼーっと過ごしていた。何も考えていなかった。
適当に授業へ出席し、気が向かなかったら授業を休んで、出席している友達に”ダイヘンして”と連絡しておけば出席したことになった。(ダイヘンを友達に頼む:代わりに返事しといてと友達に頼む)
学ぶ気持ちなど1ミリもなかった。

昼休みは友達と学食でくだらない話をして笑い合った。
帰りにはカフェやプリクラ、土日はアルバイトと遊びでスケジュールは常に埋まっていた。

授業よりも、人間関係やイベントが中心の学生生活。
そのときの私は、「勉強」はあくまで“やることの一部”でしかなかった。


◆社会に出て気づいた“学び足りなさ”

短大を卒業して就職した私は、まもなく「学び足りなかった」という現実に直面する。
社会に出ると、答えのない問題が無数にある。
知識も、論理的思考も、表現力も足りないと痛感する場面が多かった。

「もっと深く考える力」「もっと広く知る力」が必要だった。

そんな思いが、心の奥でずっとくすぶっていたのだと思う。
「受験勉強を一所懸命すればよかった」という未練が、ずっと私の中に残っていた。


◆そして45歳。再び“学生”になる

子育ても落ち着き、自分の時間が少し持てるようになった40代。
そのとき私は、思い切って大学受験を決意した。
もう若くはない。覚えも悪い。時間も体力も限られている。

けれど、今の私は“学ぶことの意味”を知っていた。
若いころとは違い、「知りたい」という内側から湧き上がる意欲があった。

大学では、レポートに追われ、プレゼンで緊張し、参考文献の海に溺れそうになった。
それでも、すべてが楽しかった。

毎回の授業で目から鱗が落ち、他の学生たちの柔軟な発想に驚き、先生の問いかけに自分の考えをまとめ直す。
学びとは、「誰かに教わること」ではなく、「自分で掘り下げていくこと」だとようやく分かった。


◆短大時代の私に伝えたいこと

45歳の今、もう一度学生を終えた私が、あの短大生だった自分にひとこと言えるなら、こう伝えたい。

「もっと自由に学んでいい。
もっと好きなことに時間を使っていい。
遠慮せずに、堂々と“知りたい”と言っていい。」

あの頃の私は、進路も正解も「誰かが決めるもの」だと思っていた。
だが、本当は“自分で選ぶ力”こそが一番大切だったのだ。


◆人生に“学び直し”はいつでも可能

私は、短大を卒業して20年以上経ってから、もう一度大学に通った。
若いころと同じようにはいかなかったけれど、だからこそ得られたものも多い。

「もう遅い」「今さら無理」と思っていたのは、他の誰でもない、自分自身だった。
学びに年齢制限はない。
そして、学びに“正しい順番”もない。

若いころよりも、むしろ今のほうが未来が広く感じられる。


◆おわりに

短大での生活も、45歳での大学生活も、どちらも私の人生のかけがえのない一部だ。
遠回りした分だけ、深く味わえたものがある。
「人生の途中で立ち止まり、もう一度学び直す」。

もしも、過去の私と同じように、「もう一度学びたい」と心のどこかで思っている人がいたら、ぜひその気持ちを信じてほしい。
あの短大生の頃よりも、今の私は、ずっと自分らしく生きている。

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