さぁ!人生をおもしろがろう

40代(ミドル世代)で大学生になった筆者がリアルに語ります!

ミッドライフクライシスと私

卒業後&その他

「このままで本当にいいのだろうか」

「このままで本当にいいのだろうか」

そんな問いが、ある日突然、心の奥から湧き上がった。45歳のときだった。仕事、家事、子育て――日々をこなすことに追われて、立ち止まる暇もなかったはずなのに、そのときだけは足が止まった。

40代に入ってから、なんとなく心がざわつくようになっていた。会社では「ベテラン」と呼ばれ、子どもは思春期を迎え、親は老いていく。自分の役割ばかりが増えていくのに、心は置き去りにされているような感覚。誰かのために動くことはできるのに、自分のために動くことが、怖くてできなかった。

ミッドライフクライシス。中年の危機。そんな言葉は以前から知ってはいた。でも、まさか自分がその真っただ中にいるとは思ってもいなかった。

子育てと仕事を両立しながら、なんとかここまで走り抜けてきた。

そんな私が、45歳で大学受験を決意した。


きっかけは、娘の高校受験だった。娘が志望校を目指して受験勉強をしている姿を見て、「私も、こんなふうに一度くらい真剣に勉強してみたかった」と思った。それは、嫉妬というよりも、憧れだった。

大学編入試験を受験することを決めた私は、本気で受験勉強に取り組んだ。英文法の基礎からやり直し、毎晩遅くまで机に向かった。何十年ぶりかの受験勉強は想像以上にきつかった。でも、それ以上に、楽しかった。自分の意思で、自分の時間を使って、何かを学ぶ。それだけで、呼吸がしやすくなった気がした。

そして、46歳で大学に編入した。


教室には、自分よりひとまわり以上若い学生たちがいた。最初は居心地の悪さもあった。「どうしてこの年齢で?」という視線が気になることもあった。

でも、そんな違和感を超えて、「学ぶ」という行為そのものが、私の心を前に進ませてくれた。知識を得ること、仲間と議論すること、レポートを書くこと。どれもが、今までの人生では味わえなかった感覚だった。

ゼミでは、女性の生きづらさや社会課題について研究した。同世代の葛藤と重なるテーマだったからこそ、私は本気になれた。社会の構造を知ることは、自分自身の生き方を理解することでもあった。


ミッドライフクライシスとは、人生の中間地点で「本当にこのままでいいのか」と自分に問う時間なのかもしれない。周りの価値観を優先して生きてきた人ほど、ふと立ち止まったときに空虚を感じるのだと思う。

私は、ミッドライフクライシスを「やり残したことと向き合うチャンス」だと思っている。過去には戻れない。でも、未来は選べる。その選択肢がまだあると気づけただけで、息ができるようになった。


今でも、「もう遅いのでは?」という不安はある。20代のような柔軟さも、吸収力もないかもしれない。覚えたことはすぐに忘れてしまうし、体力も落ちてきた。

でも、それでも学ぶ。もがく。自分に問い続ける。

若い頃の私は、勉強の大切さを知らなかった。勉強にそんなに意味は感じてなかった。でも、今は違う。学ぶという行為は、自分を知り、世界とつながる行為だとわかった。


「やり直す」とか「人生を変える」なんて、大げさなことじゃない。ただ、自分を置き去りにしたまま、人生を進めたくなかった。それだけだった。

もし、この記事を読んでいるあなたが今、人生のどこかで立ち止まっているとしたら、私は言いたい。

「あなたは一人じゃない」と。

そして、「立ち止まったその場所が、あなたの再出発点かもしれない」と。

人生の真ん中で迷うことは、恥ずかしいことじゃない。
そこからどう進むかを、自分で選ぶこと。

それが、大人になった私たちに許された、自由なのだと思う。

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