さぁ!人生をおもしろがろう

40代(ミドル世代)で大学生になった筆者がリアルに語ります!

気づかないうちに、自分を狭くしていませんか?

卒業後&その他

40代を過ぎた頃、自分の世界がなんとなく小さくなったように感じた。

仕事は慣れている。家事もこなしている。人間関係も、ある程度うまくいっている。
けれど、心のどこかで「自分の可能性は、もうこんなものなのかもしれない」と思い始めていた。

若い頃にはなかった感覚だ。あの頃は、未来への期待があった。自分の選択次第で、どんな場所へでも行けるような気がしていた。

なのに今は――自分で自分の限界を決めている。そんな気がした。


■ その「できない」は、本当に自分の声?

40代や50代になると、たいていのことは“経験済み”になる。

仕事の動き方、家庭のルール、友人との距離感、社会のしくみ。
ある程度わかっているからこそ、無駄な挑戦は避けたくなる。
転んで恥をかくくらいなら、最初からやらない方がいい。
「この年齢で失敗するのはかっこ悪い」と思ってしまうこともある。

でも、よくよく考えてみると、それって本当に自分の気持ちなんだろうか?

“できない”と決めつけているのは、過去の経験? 他人の評価? 年齢?
誰かが言った言葉に、自分の行動を縛られてはいないか?

そんな問いが胸を突いた。


■ 気づかぬうちに、心が狭くなっていた

他人の期待に応えることが、自分の価値をつくる――
そう信じて一生懸命生きてきた。

「ちゃんとやらなきゃ」と思って走り続けてきた。でもその「ちゃんと」が、自分をどんどん窮屈にしていた。

誰かと比べて、うまくできない自分を責める。
新しいことにチャレンジしている人を見て、焦る。
けれど、自分は怖くて動けない。失敗がこわい。人の目がこわい。

いつのまにか、心の中に“境界線”が引かれていた。
「ここまではできるけれど、ここから先は無理」と。
しかも、その線は誰かに引かれたのではなく、自分が引いたものだった。


■ 一歩だけ、線の外へ出てみた

ある日、思い切って、大学に編入することを決めた。
それは、私にとって「自分で引いた線を越える」行為だった。

合格するかどうかも分からない。
仕事と家庭と勉強の両立なんてできるかも分からない。
周りは年下ばかりだろう。この年齢だと、浮いてしまうかもしれない。
それでも、挑戦しなければ後悔すると思った。

実際に入学してみると、思っていたよりも多様な人がいた。
年上の私に話しかけてくれる若い学生もいたし、先生方も真剣に向き合ってくれた。

知識が増えただけじゃない。
自分の“限界”だと思っていたものが、ただの思い込みだったと知れた。
この経験が、何よりも大きな学びだった。


■ 行動した人だけが知っている風景がある

「行動したら世界が変わった」とよく言うけれど、
実際には、「行動した時点で、自分の中の世界が変わっている」のだと思う。

踏み出した瞬間、景色は変わる。
不安もある。でも、それ以上に、「やってみた自分」に出会える喜びがある。

大きなことをする必要はない。
ほんの小さな一歩でいい。

  • 気になっていた場所に出かけてみる
  • 前から興味があった勉強を始めてみる
  • 自分の気持ちを、誰かに話してみる

たったそれだけでも、「私は変われるかもしれない」と思える。
そしてその思いは、人生の流れを変えていく。


■ 自分のサイズは、自分で決められる

私たちは、気づかないうちに“誰かの基準”で自分を測っている。

  • この年齢なら、こうあるべき
  • 家庭があるなら、こうすべき
  • 女性(男性)なら、ここまでは…

でも、人生の正解なんて、誰も知らない。あるのは、「自分で選んだかどうか」という事実だけ。

自分のサイズは、自分で決めていい。もっと広く、もっと自由に、もっと好きに生きていい。

それに気づけたのは、40代になってからだった。
遅いなんて思わない。むしろ、これからの人生にとって必要な“再起動”だった。


■ だから、いまこの問いを届けたい

気づかないうちに、自分を狭くしていませんか?

その問いにハッとしたら、それは「変わりたい」のサインかもしれない。

小さな行動が、自分をもう一度ひらいてくれる。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。
いつだって、私たちは変われる。自分の意思で、自分のペースで。

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