40歳になった頃、ふと立ち止まって考えるようになった。
「このままで、本当にいいのだろうか?」
子どもたちは日々成長し、やがて巣立っていく。夫は海外赴任を経験し、仕事の面でも人としてもさらに大きくなっている。職場では、後輩たちが成長していっている。
気がつけば、私だけが足踏みをしているような感覚になった。
これまで資格をいくつか取得した。努力はしているつもりだった。でも、どこか満たされない。自分では動いているつもりなのに、「何も変わっていない」と感じてしまう。そして、その焦りと不安が、自分自身をさらに責める材料となっていった。
勉強して、資格を取る。けれど、それを「活かす場所」がない。資格があるだけでは、「現場で動ける人」にはなれない。どこか“机上の空論”のような無力感がまとわりつく。
英語だって、学んではいる。でも、実務で英語を使う場面はさほどなく、せっかく覚えた表現も、使わなければどんどんこぼれ落ちていく。自分なりに頑張ってはいるのに、それが社会に通用しない気がして、どこか虚しい。
そんな私の目には、学んだことをすぐに実践に移して成果を出す人たちが、まぶしく映っていた。1学んで、10のアウトプットをするような人たち。彼らのように動けない自分を、「ダメな人間だ」と思っていた。
けれど、ある時ふと立ち止まって、自分の歩んできた道を振り返ってみた。
私は、短大生の頃、就職活動の厳しさを痛いほど経験した。求人票には「結婚後は退職を条件とする」と明記された会社もあった。今では信じられないようなことが、当時は、それがまかり通っていた。
「女性は、いずれ結婚するから長く働けない」「4年制大学まで行かなくてもいい」そんな空気が、家族の中にも社会の中にもあった。
それでも私は、自分の意思を捨ててまで、そうした企業に入ることはできなかった。どうしても、心が拒んだ。
そんな経験があったからこそ、「自分の人生をこのまま終わらせたくない」という想いが、ずっと心のどこかに残っていたのだと思う。
そして、45歳で大きな決断をした。
4年制大学への編入。
10代や20代の学生たちに交じって、46歳で4年制大学に入学した。もちろん、簡単なことではなかった。家のこと、仕事のこと、年齢的な不安、周囲の目――いろいろな葛藤があった。
2年間、大学で学び、48歳で卒業した。その瞬間、私は一つの山を越えたような気がした。
「まだ私は、挑戦できる」
それは、「これからも新しい道を歩んでいきたい」という想い。
資格や学びは、自分の内面を豊かにしてくれた。でも、そこに「実践」が加わったとき、初めてそれが「力」になるのだと気づいた。だからこそ、次はそれを活かせる場を、自分でつくっていきたい。
今の仕事を続けながらでも、始められることはある。自分の中に「まだまだできることがある」と思えるようになったのは、あの挑戦があったからだ。
今、私は思う。
50歳は、人生の終盤ではない。むしろ、「新たな人生の始まり」かもしれない。
私は、まだまだ成長できる。まだ知らない世界がある。これから出会う人たち、まだ見ぬ経験、そして自分自身の可能性に、もっと触れてみたい。
「私の人生、これでよかったのか?」
その問いに対する答えは、もう決まっている。
「これから、もっとよくしていく」
過去を悔やむのではなく、過去を糧にして未来を描く。そのために、私はまた一歩踏み出す。
最後に
45歳からの挑戦は、私にとっての「再出発」だった。そして今、私は49歳。人生はまだ途中だ。これまでの自分を誇りに思いながら、これからの自分を、もっと大切に育てていきたい。
だから今日も私はこう言う。
「私は、まだ、これからだ」
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