「勉強なんて意味がない」と思っていたあの頃。
私が黒板を見ていたのは、たぶん“内容”じゃなくて“時計”だった。
そんな私が45歳で、大学受験に挑戦して、今では学生証を持つ身になった。
この話は、特別な才能のある人の話じゃない。
“何者でもない私”が、自分の人生に向き合い直した、ただそれだけの話だ。
◆若い頃、ほぼ「空気」だった
私の若い頃をひと言でいうなら、「勉強は放棄」「存在は希薄」だった。
小、中学生のころは、まだそれなりに真面目だったと思う。
でも高校に入って、まったく勉強しなくなった。
勉強する意味が、まったく意味がわからなかった。
完全に諦めモードだった。
「勉強しないキャラ」のまま私は高校を卒業した。
◆45歳で、まさかの「受験してみようかな」
その後、社会に出て、結婚して、子育てして——。
気がつけば、人生の折り返し地点を越えていた。
40代になると、「このままでいいの?」という声が心の奥から聞こえるようになった。
仕事はこなせる。でも、毎日が「やるべきこと」だけで埋まっていく。
誰かの母であり、誰かの妻であり、誰かの部下や同僚である私。
でも、“私自身”はどこにいるのか、わからなくなっていた。
そんなある日、娘が志望校を目指して受験勉強をしていた。
ふと、「私も、もう一回勉強してみたい」と思った。
本気ではなかった。
最初は「なんとなく」。ただの気の迷いだったのかもしれない。
でも、調べれば調べるほど、心が動いた。
編入制度、社会人入試、通信制大学。
「今からでも大学に行ける」可能性が、想像以上に広がっていた。
◆勉強はつらくて面白かった
受験勉強を始めたのは、45歳の年の春。
入試のための勉強なんて、遥か昔の世界だ。
でも、負けたくなかった。
過去の「勉強してこなかった私」に。
「どうせムリでしょ」と思っている誰かの目に。
私は毎日仕事のある日は6時間、休日は15時間ぐらい猛烈に勉強した。
塾の先生たちも、この40代で大学受験に挑戦する私をとても応援してくれた。
◆合格通知が届いた日、私は震えた
そして迎えた受験本番。
緊張で手が震えた。
そんなことは初めてだった。本当に緊張で、手が震えて文字が書けない。
でも——
終わったあと、私は「やりきった」と思えた。
数週間後、合格通知が届いた。
封筒を開いた瞬間、言葉が出なかった。
何十年も“勉強は苦手”と思ってきた私が、志望する大学に受かった。
信じられなかった。
あの日、あのとき、「私も大学行ってみようかな」と思えた自分に感謝した。
◆大学生活、遅咲きの青春
大学に入ってからの生活は、正直楽ではなかtt。
10代・20代の学生たちと一緒に授業を受けるのは、場違い感がすごい。
グループワークでは、話しかけるタイミングに気を使うし、
先生の話についていけないときもある。
でも、それでも——私は楽しい。
レポート課題に頭を抱えて夜更かしするのも、
図書館で資料を読みふけるのも、
プレゼンの練習で何度も言い直すのも、
全部、若いころには味わえなかった「勉強する喜び」だ。
◆“学び直し”は、逃げじゃない。挑戦だ
ときどき、「現実逃避じゃないの?」と聞かれることもある。
でも、それがどうした?と思う。
誰かに認められるためじゃなく、“自分のために学ぶ”って、ものすごく幸せなことだった。
あのころの私が見捨てた「勉強」も、45歳の私には、人生を取り戻すきっかけになった。
◆今、あなたがもし迷っているなら
40代からでも、勉強はできる。
むしろ、「今だからこそ理解できること」もたくさんある。
人生の後半戦に、自分の選択で“何かを始める”って、
とても勇気のいることだけど、それ以上に価値のあることだと私は思う。
何者でもない自分を、誇れるようになりたかった。
そのために、私は学ぶ道を選んだ。
次は、あなたの番かもしれない。
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