私は、勉強の半分以上をカフェでしてきた。
家よりも、図書館よりも、カフェがいちばん集中できた。誰に強制されるわけでもなく、自分の意思で机に向かえる場所。それがカフェだった。
■カフェ研究会、はじまりは20代
カフェ通いのルーツは、20代前半にさかのぼる。
当時、私は友達5、6人と「カフェ研究会」と名付けた会を作り、月に一度集まり、1日でカフェを2〜3件はしごする、という遊びをしていた。
カフェでのんびりするのが好きで、紅茶の種類が豊富なお店や、居心地のいいソファ席のあるお店、昼と夜で雰囲気がガラッと変わるカフェなど、さまざまなカフェをめぐった。
今でこそ「カフェ巡り」はSNSでもよく見かけるけれど、あれは25年以上も前の話。
スターバックスも、まだ日本にはなかった。
それでも私は、当時からカフェに「ただの飲食店以上のもの」を感じていた。
■スタバが来る前に、もう“サードプレイス”を知っていた
後に、スターバックスが日本に上陸し、「サードプレイス(第三の場所)」というコンセプトを掲げた。
家でも職場(学校)でもない、もうひとつの居場所。
でも私にとっては、その言葉を知るずっと前から、カフェがすでにサードプレイスだった。
カフェに足を踏み入れただけで、自分が特別な存在になったような、そんな不思議な感覚があった。
カフェにいると、なぜか自分を大切にしたくなる。
ただの一人の客として静かに存在しながらも、誰かに認められているような、社会とちゃんとつながっているような安心感があった。
■カフェ=勉強部屋。社会人になってからもずっと
会社員になってからも、私は変わらずカフェに通った。
むしろ社会人になってからの方が、カフェとの関係は深くなったかもしれない。
まわりに人はいるのに、自分の世界に入り込める不思議な空間。
程よくざわざわしていて、でも集中を邪魔するほどではない。
周囲の「誰かが頑張っている空気」が、自分のモチベーションにもなる。
音楽のボリュームも、照明の明るさも、私にはちょうどよかった。
■40代での大学受験も、やっぱりカフェで
そして、40代になった私は、ある大きな決断をした。
「大学に編入しよう」と思い立ったのだ。
どうしても挑戦したかった。自分の人生にもう一度、納得が欲しかった。
その受験勉強も、やはりカフェだった。
仕事を終えた夕方、家には帰らず、カフェへ直行。
ノートPCを開いて、過去問を解いたり、志望理由書を考えたり。
休日には、朝から閉店までずっとカフェにいる日もあった。
おしゃれをして行く必要もないし、誰に会うわけでもないけれど、
なぜか「今日もカフェで勉強する」と思うと、気持ちがしゃんとした。
日々に張りが出た。私にとってカフェは、「夢に向かって努力する場所」そのものだった。
■カフェに入ると、自然と勉強モードに入る体質に
不思議なことに、ある時期から私は「カフェに入ると勉強せずにはいられない」体質になっていた。
家ではだらけてしまっても、カフェの席に座り、ドリンクを手にすると、自然とノートを開いていた。
カフェ=勉強部屋。
これは何十年も続けてきた習慣が、無意識のうちに私にインプットされていたからかもしれない。
だからこそ、大学に合格できたのは、カフェの存在があったからだと本気で思っている。
カフェがなければ、あんなに集中して勉強できなかった。
家でも図書館でもない、“自分の居場所”があったこと。
それが何よりの支えだった。
■勉強しやすい、長くいられる、気を遣わないカフェが好き
私が好むカフェには、いくつか共通点がある。
・席が広めで、荷物を置ける
・長居しても気まずくない
・店員さんが静かで丁寧
・適度ににぎやかで、でも落ち着いている
こういうカフェを見つけると、すぐに「自分の居場所」認定して、通いつめてしまう。
■カフェの存在に、心から感謝
カフェって、ただの飲食店ではない。
誰かにとっては、勉強部屋だったり、逃げ場だったり、出発点だったりする。
私にとっては、そのすべてだった。
20代で出会い、40代で支えられ、これから先もたぶんカフェとともに歩いていく。
年齢を重ねるたびに「勉強する理由」は変わっていくけれど、「勉強する場所」は変わらなかった。
もし、これを読んでいる誰かが、何かに挑戦しようとしているのなら、まずはカフェに行ってみてほしい。
ドリンクを一杯、ノートを1ページ。
そこから何かが動き出すかもしれない。
私にとってカフェは、人生の立て直しに必要な「静かな味方」だった。
今でも感謝している。
ありがとう、カフェ。
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