さぁ!人生をおもしろがろう

40代(ミドル世代)で大学生になった筆者がリアルに語ります!

挑戦って、意味があるのだろうか――40代で受験を経験して思ったこと

受験勉強

「挑戦って、本当に意味があるのだろうか。」

40代の私が大学の編入試験を受けようと決めたとき、最初に自分に投げかけたのはこの問いだった。
若いころなら「挑戦すること自体に意味がある!」と胸を張って言えたかもしれない。でも、40代の挑戦は、正直そんなにきれいごとでは済まされない。家族もいるし、仕事もあるし、生活の責任は軽くない。時間も体力も有限だ。挑戦することで何かを得る代わりに、何かを失う可能性だってある。

そんな中で、あえて挑戦する意味があるのか――自分でも分からなかった。


挑戦を始めたきっかけ

40代の春、安定した職場に勤めながらも、心の奥に「このままでいいのだろうか」という違和感を抱えていた。
大学受験を決断してからも、揺らぐことはあった。

「今さら大学なんて行って、意味があるの?」
「年齢的にも浮くだけじゃない?」
「学んだことをどう使うの?」

挑戦の「意味」を証明できなければ、行動に移す理由が見つからない。だけど、挑戦の意味なんて、やってみる前にはわからない。頭では分かっていたが、踏み出すまでに3か月ほど迷った。


受験勉強の日々

最終的に「挑戦の意味は、やってみてから探せばいい」と自分を説得して、受験を決意した。勉強を始めたのは試験の8か月前。
久しぶりの受験勉強は、脳みそをギアチェンジするような感覚だった。会社から帰ると、食事と家事をすませ、すぐに勉強。平日は毎日4~6時間程度、机に向かった。休日は、12~15時間机に向かった。

正直、つらい日も多かった。理解が追いつかない焦り、暗記が定着しない苛立ち。

それでも、勉強を続けるうちに気づいたことがあった。
それは、「やらなかったらゼロ、やれば1でも積み上がる」ということだ。小さな前進でも、昨日より知識が増えたという事実が、自分を支えてくれた。


合格とその先に見えたもの

試験本番。
緊張で手が震えながらも、8か月間の積み重ねをぶつけた。そして合格通知を受け取ったとき、「挑戦に意味はあったのか」という問いは、少しだけ形を変えていた。

もちろん、合格が全てではない。でも、結果として大学に進学できたことで、自分の中に「やればできる」という感覚が戻ってきた。
そして大学生活が始まると、世代を超えた人たちとの出会いが待っていた。10代、20代の学生とディスカッションをし、彼らの価値観や行動力に刺激を受け、自分の経験をシェアすることで感謝されることもあった。

挑戦は、私の世界を一気に広げた。
年齢で区切られた日常から飛び出し、「まだまだ自分は変われる」という実感を手に入れたのだ。


挑戦の意味は「後から分かる」

40代の挑戦は、20代の頃とは質が違う。
若い頃は、挑戦そのものが「成長のための投資」だと信じられた。でも中年になると、「回収できるのか」「家族や生活にどう影響するか」という計算が先に立つ。

私が受験を通して気づいたのは、挑戦の意味は「やった瞬間」に分かるものではなく、「やり終えた後」にしか分からないということだ。
やる前に「意味」を完璧に説明しようとしても、それは無理な話。行動した結果、初めて見えてくる景色がある。

たとえば私の場合――

  • 合格という成果
  • 学び直しの楽しさ
  • 世代を超えた仲間
  • 自分への信頼感の回復

これらは、挑戦前には想像すらしていなかった収穫だった。


「意味があるか」より「やりたいか」

挑戦を考えるとき、私たちはつい「意味があるかどうか」で判断しがちだ。でも、その問いはときに足かせになる。
意味なんて、やってみなければ分からないのだから、もっとシンプルに「やりたいか」で考えてもいい。

もちろん、無謀な挑戦は生活を壊すこともある。
だからこそ、現実的な準備は必要だ。時間の確保、費用の計算、家族の理解――これらを整えた上で、「やりたい」気持ちに賭けてみる。それが大人の挑戦だと思う。


挑戦は「生きている実感」をくれる

40代の挑戦には、もう一つの意味があると感じている。それは「生きている実感」を取り戻せることだ。
日々のルーティンに埋もれていると、感情の起伏は小さくなり、時間だけが淡々と過ぎていく。挑戦は、その均衡をわざと崩す行為だ。

試験前の緊張、勉強の苦しさ、合格の喜び――そうした感情の波は、確かに私の心を動かした。挑戦がなければ味わえなかった感覚だ。


もし、あのとき挑戦していなかったら

私はときどき、受験を決意しなかった自分を想像する。
たぶん今も毎日、代わり映えの無い、張り合いの無い日々を送っていただろう。でも、どこかで「やってみればよかった」と後悔していたに違いない。
後悔は、時間が経つほど重くなる。それなら、失敗してもいいから一度やってみた方が軽い。


最後に

挑戦の意味は、事前には分からない。
やってみて、失敗して、成功して、振り返って、初めて分かる。
私にとって、40代の大学受験は「まだ自分には伸びしろがある」と気づかせてくれた出来事だった。

だからもし今、あなたが「意味があるのかな」と迷っているなら、こう伝えたい。
意味は、あとから必ず見つかる。だから、今はただ一歩を踏み出せばいい。

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