さぁ!人生をおもしろがろう

40代(ミドル世代)で大学生になった筆者がリアルに語ります!

学生証を手にした日、感じたこと —40代で大学生になった私のリアル—

卒業後&その他

「学生証、お渡ししますね。」

その一言とともに、受付の女性が私の顔写真入りのカードを差し出してくれた瞬間、私は思わず両手でそれを受け取ってしまった。小さなカードだった。でも、その小さなプラスチック片は、私の人生の大きな転機を象徴するものだった。

40代で大学に編入し、新しい人生のドアを開けた日。まさにその扉の鍵が、この学生証だった。


大学の入学式当日。広いキャンパスに、春の柔らかい風が吹いていた。

私は、少し堅めのネイビーのスーツを着ていた。手には入学許可通知や筆記用具を入れた黒いバッグ。そして、その胸の内には、期待と緊張と、少しの不安が入り混じったような、何とも言えない気持ちが渦巻いていた。

周囲を見渡せば、ピカピカのスーツに身を包んだ若者たち。いかにも「新大学生」といった初々しさにあふれていた。私はといえば、“保護者のような雰囲気”。

けれど、その手には、ずっと憧れていた「学び直し」のスタートラインが握られていた。

「何歳に見えるだろう」「浮いていないかな」そんな考えが、頭の中をぐるぐる巡っていた。まるで異世界に紛れ込んだような感覚だった。

カウンターで「学生証はこちらです」と手渡されたとき、心がぐっと熱くなった。思えば、40代になってから「証」なんて名のつくものをもらう機会など、なかなかない。

「新しい自分」を認められたような気がした。


「学生」という肩書きを、40代で持つということ

会社員でもなく、母でもなく、誰かの妻でもなく。「学生」としての自分を表すこの小さなカード。

思えば、私はずっと「役割」で生きてきた。母として、社員として、娘として。もちろん、そのどれも大切な役割であり、私を形づくってきた一部ではある。でも、「私自身」としての時間を、私は長い間、置き去りにしてきたのかもしれない。

学生証を手にした私は、周りの若い学生に気づかれないように、そっとうつむいた。嬉しくて、安心して、でもちょっと心細くて。

こんなに小さなカード一枚なのに、こんなにも重みがあるなんて思わなかった。

私は40代。社会人としても、家庭もあって、それなりの責任も抱えている。学生証なんて、もう人生では縁がないものだと思っていた。

でも今、私はその“縁がないと思っていたもの”を手にしている。ちゃんと自分の名前が印字されて、顔写真が貼られて、正式にこの大学生の一員として認められた証。それが、ただただ嬉しかった。

学生証を手にしたことで、私は久しぶりに“私のための時間”を取り戻した気がした。


学生証の裏にある、決意と不安

もちろん、大学に通うことは簡単な決断ではなかった。仕事のこと、家族の理解、体力的な不安、お金のこと…。入学前には数えきれないほどの「できない理由」が頭に浮かんだ。

でもその一方で、「このままで終わりたくない」という気持ちが日増しに強くなっていた。
40代の自分にとって、大学進学は「将来のため」ではなく、「今の自分を生きるため」の選択だったのだ。

学生証を受け取った瞬間、その決意と不安の両方が胸にずっしりと迫ってきた。


嬉しい、ただそれだけで涙がにじんだ

時間は巻き戻せない。でも、人生は書き直せる。

40代で学生になるのは、決して簡単なことではない。でも、誰かと比べる必要もなければ、年齢を理由に諦める必要もない。
むしろ、年齢を重ねてきたからこそ、学びのありがたさが身にしみる。時間を捻出して教室に通い、予習復習をする毎日。それは決して「無理してる」わけではない。むしろ「今までで一番、私らしい」時間だった。


あの日、学生証を手にした自分へ

あれから数年。無事に卒業証書も手にした今、時々あのときの学生証を見返すことがある。

傷がつき、角がすり減ったカード。でも、その中には、私が“もう一度人生を動かした”証が詰まっている。

あの日、不安とともにそれを受け取った私へ。
あなたは、正しい一歩を踏み出していたよ。
「学生証」は、あなたが“生き直す”ための鍵だったんだ。


まとめ


学生証は、ただの身分証ではなかった。それは、年齢を超えてもう一度自分自身を信じ直す「勇気の証」だった。もし、この記事を読んで「遅いかも」と迷っている人がいたら、伝えたい。大丈夫。人生には“いつでも”はじめられる瞬間がある。あなたの学生証も、きっとその手に届く。

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