40代半ばの3月、私は大学の編入試験を受けることを決意した。
私が目指した私立大学の編入試験は、10月から11月にかけて行われる。最初はまだ遠く感じていたが、試験までのカウントダウンが始まった。
やり残した受験勉強――それをもう一度、本気でやりたい。若い頃に果たせなかった挑戦を、この年齢で叶えることに意味がある。そう信じてスタートを切った。
夏が近づくと
受験の世界では、夏は特別な意味を持つ。
「夏を制する者は受験を制す」――そんな言葉は、高校生や浪人生だけのものだと思っていたが、社会人受験生にとっても同じだった。
春は順調だった。参考書も計画通り進み、休日は図書館やカフェにこもって集中できた。だが、7月が近づくにつれ、胸の奥に不安が生まれ始めた。
「あと数ヶ月しかない」
「このままで間に合うのか」
「願書提出の期限が迫ってくる」
現実的な日付が目の前に迫ってきて、心臓が早鐘を打つ。試験日が遠い未来のことではなく、カレンダーの中の具体的な数字として迫ってくる瞬間の恐怖。
受験の山場、お盆休み
夏のはじめ、通っていた塾から模擬面接の案内があった。
「夏を超えれば、模擬面接も始まる」
この知らせは、気合を入れ直すきっかけにもなったが、それ以上に「いよいよ逃げられない」という事実を突きつけられた感覚だった。
社会人の私にとって、夏休みは学生のそれとは違う。
お盆休み、有給休暇――そのすべてを受験勉強にあてる覚悟を決めた。
朝は早く起き、机に向かう。昼はエアコンの効いた部屋でひたすら問題を解く。夜は疲れた目をこすりながら、面接対策のノートを見直す。
勉強尽くしの夏。けれど、私は心のどこかで、そんな自分に誇りを持っていた。
不安と戦う
それでも、夏の半ばには何度も心が折れそうになった。
書いても書いても、しっくりこない小論文。「やっぱり無理なんじゃないか」と落ち込む夜。
そんなとき、ノートに太い字で書いた。
「絶対に受かってやる。私は負けない」
この言葉を見返し、声に出して、また心の中で、何度も唱えた。
不思議なことに、声に出すたびに胸の奥の迷いが少しずつ薄れていく。言葉が、自分の中の弱気を押し返してくれるようだった。
挑戦の意味
40代での大学編入試験は、若い頃のそれとは全く違う。
時間の制約も、体力の限界も、記憶力の低下も、全部リアルに感じる。だけど、だからこそ一日一日の勉強に重みがあった。
あの夏を越えたことで、私は受験だけでなく、これからの人生に向けても「やればできる」という自信を手に入れた。
結果がどうあれ、あの夏に全力で向き合ったことは、私の中で一生消えない。
怖さを感じたことも、不安に押しつぶされそうになったことも、今では全部「本気で挑んだ証」だと思える。
これから挑戦する人へ
もし今、あなたが何かの試験や挑戦を控えていて、不安でたまらないなら、私はこう伝えたい。
「怖いのは、あなたが本気だからだ」
適当にやっているとき、人は怖くならない。
怖いのは、そこに大きな意味を見出しているから。
だから、その気持ちはむしろ誇ってほしい。
夏を越えると、不思議と見えてくる景色がある。
涼しい風と一緒にやってくるのは、「もうやるしかない」という覚悟と、「ここまで来た」という確かな足跡だ。
最後に
あの夏の日々は、今も私の中で特別な輝きを放っている。
お盆も有給休暇も全部つぎ込んだあの数週間。机の前で書き殴った「私は負けない」という文字。
そして、夏の終わりに感じた、あの静かな自信。
40代でも、いや、40代だからこそ、あの夏はかけがえのない時間になった。
挑戦は年齢で区切られるものではない。むしろ、積み重ねた時間が、挑戦をより深く、濃くしてくれる。
夏真っ只中。
どこかで、同じように机に向かっている誰かが、この文章を読んで少しでも前に進む勇気を持ってくれたら――それが、あの夏を全力で過ごした私からの、ささやかな贈り物だ。
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