40代に入って、仕事にも家庭にも、ある程度の“型”ができた。
毎日が大きく崩れることもなく、淡々と過ぎていく。
それは安定とも呼べるのだろうけれど──
ある日、ふと気づいた。
「このまま、私の人生って終わるのかな?」
ふと電車の窓に映った自分の顔が、他人のように見えた。
感情が薄く、目が死んでいた。
誰かが笑っていても、心から笑えない。
誰かの一所懸命さに感動するのに、自分は一所懸命に生きてない。
まるで、心にうっすら膜が張ったような、くぐもった日々。
40代は、そんな“鈍さ”が忍び寄る年代だった。
きっかけは、「このままじゃマズい」という小さな焦り
私は正社員として働いていた。
業務も慣れていて、特に困ることもない。
でも──
「この仕事、あと何年できるだろう」
「私の市場価値って、あるのかな」
「やりがいって、どこにあるんだろう」
そんな問いが、じわじわと心を締めつけてきた。
「このままでいいのかな」とこぼせば、贅沢な悩みだと思われそうな気がしていた。
けれど、気づいてしまったのだ。
“刺激”がないと、私は生きていけない。
大学編入という決断
大学編入というものがあるというのを何かの本で読んだ。
社会人だから、家庭があるから、お金がないから、時間がないから──
そんな言い訳を並べて、何年も動かずにいた。
でも、「このままじゃ一生、流されて生きていってしまう」と思った。
誰のせいでもなく、自分の意志で人生を変えたかった。
私は、大学編入を決意した。
不安だらけの入試、そして学生生活の始まり
試験勉強を始めたとき、頭は意外と錆びついていなかった。
英語の勉強は適度に継続していたし、資格試験も定期的に受けていた。
しかし、英単語の意味や読み方は知っているのに書けない。漢字も読めるのに書けない。
パソコンで文字を打ってばかりで、書くことをずっとしていなかったからだ。
試験は、小論文と英語だ。英語もほとんど英語の小論文だ。
だから、書いて書いて書きまくって勉強した。
少しずつ手が書くことに慣れていった。再起動していくような感覚があった。
合格の通知が届いた。
自分のために努力して、自分のために手に入れた「結果」だった。
「今さら」なんて言わせない
学生生活が始まってからも、不安は尽きなかった。
服装、話し方、考え方──何から何まで、若い同級生たちとは違う。
初めは“浮いてる”気がして、自信が持てなかった。
でも、授業でディスカッションをしたとき、
自分の社会経験が思いのほか役立った。
言葉の選び方、相手への伝え方、資料の読み方。
「〇〇さんの視点、おもしろいですね」と言われるたびに、
“私でもいていいんだ”と思えた。
論文では、40代の人生経験が深みを与えてくれた。
若さにはない「深さ」が、自分の武器になると知った。
「今さら」ではなく「今だから」できることが、確かにある。
学びは、人生を再び“色づけ”てくれた
大学で学んだことは、知識やスキルだけではなかった。
もっとも大きかったのは、「私はまだ変われる」と知れたこと。
早朝便に乗り、数時間かけてキャンパスに通った。日中は授業を受け、夕飯や子供のお弁当の用意、掃除洗濯。
疲れた身体でレポートや発表準備を行う日々は、正直きつい。
何度も辞めようと思った。それでも、逃げ出すことはしなかった。
“刺激”があるからだ。
昨日の自分より、ほんの少しでも成長している感覚があるからだ。
40代は、思っていたよりも「伸びしろ」があった。
思っていたよりも、まだまだ人生を変えられる。
ただ、そのためには、「行動すること」が絶対に必要だった。
まとめ──刺激は、自分で取りにいくもの
「刺激がないと生きられない」──
それは決してわがままではないと思う。
むしろ、それは「今の自分に満足していない証拠」だ。
成長したい、変わりたいという、本能に近い欲求だ。
だから私は、これからも自分に問い続けたい。
「最近、心が動いたのはいつ?」
「次は、どんな景色を見てみたい?」と。
大学編入はゴールじゃなかった。
むしろ、新しい人生の入口だった。
今も私は、仕事と学びを行き来しながら、
40代の毎日を、刺激と共に生きている。
コメント