「あの人が羨ましい」―その気持ちの正体
SNSを眺めていると、ふと胸がザワつく瞬間がある。
あるいは、年下の人が華々しく舞台に立っている様子……。
「いいなぁ」「すごいなぁ」と思う一方で、
どこかモヤモヤした感情が、心の奥からじわっと湧いてくる。
素直に喜べない。
それがジェラシー、―嫉妬だ。
昔は、こういった感情は、心が狭い証拠だと思っていたし、恥ずかしいことだとも思っていた。
でも、40代になった今、その感情にこそ、自分の本音が隠れていると気づいた。
嫉妬は、「本当はやりたかったこと」を教えてくれる
誰かのことを羨ましく思うとき、そこには「自分にはないもの」が映っている。
もっと言えば、「自分もやりたかったけど、できていないこと」が映っている。
それに気づいたとき、自分に問いかけたらいい。
なぜ、あの人を羨ましく思ったのか?
なぜ、その報告に心がチクリとしたのか?
答えは、案外シンプルだった。
「私も、あれをやりたかった」
それだけのことだった。
できなかった理由は、山ほどある
もちろん、それを「やらなかった」のにも理由がある。
時間がなかった。
お金がなかった。
家庭があった。
自信がなかった。
向いてないと思った。
どうせ無理だと思った。
人生の中で、「挑戦しない理由」を挙げるのは、とても簡単だった。
だけど、「やっぱりやってみたかった」という気持ちは、
心のどこかで、ずっと燻っていたのだ。
嫉妬心は、残された“最後のサイン”
たまに胸がざわつく相手が現れると、こう思うといい。
「この人の何が、自分をこんなに刺激するのか?」と。
その答えの中に、まだ忘れていない“本当の願い”がある。
ジェラシーは、挑戦の入り口になる
嫉妬は、行動のエネルギーに変えられる。
素直に「私も、ああなりたい」と思えばいい。
そこから、次の行動が生まれる。
- あの人のように文章を書きたい → 毎日少しずつ書いてみる
- あの人のように登壇したい → 人前で話す機会を探してみる
- あの人のように大学で学び直したい → 自分も資料を取り寄せてみる
“うらやましい”は、次の一歩のヒントなのだ。
他人と比べることを恐れなくていい
よく「他人と比べるな」と言われる。
確かに、比較が自分を苦しめることもある。
でも、比べたからこそ気づけることもある。
大事なのは、比較することで「自分の軸」が見つかること。
「私にとっての幸せって何だろう」
「私が本当にやりたいことって何だったっけ」
そんなふうに、自分に向き合う材料として、比較や嫉妬は役に立つ。
他人との違いに落ち込むのではなく、
他人の中に、自分の“やりたい”を見つけていく。
そんなふうに考えると、ジェラシーさえ、人生の味方にできる。
40代だからこそ、自分に正直になれる
若い頃は、やりたいことがあっても、
周囲の目や評価が気になって、なかなか踏み出せなかった。
でも、今は違う。
40代になって、いろいろなことを経験してきた。
失敗もあったし、成功もあった。
そうやって積み上げてきた自分には、
「人の目より、自分の気持ちを信じる力」がある。
だからこそ、胸がざわつく瞬間があれば、
「私はそれを、心からやりたいのかもしれない」
と、立ち止まってみる価値がある。
ジェラシーの先にある、自分だけの道
あの人のようになりたい。
でも、まったく同じにはなれない。
だからこそ、自分だけの形、自分だけのやり方で、
自分の「やりたい」を形にしていけばいい。
誰かにジェラシーを感じたとき、
それは「あなたの中に、まだ情熱が残っている」という証拠。
諦めきれない何かが、まだ心の中で灯っている。
その小さな火を、大事にしたい。
歳を重ねるほどに、自分の本音に正直でいたい。
最後に:胸がザワついたら、立ち止まってみる
ジェラシーを感じたときは、
落ち込んだり、自分を責めたりする必要はない。
むしろ、その気持ちを丁寧に見つめるチャンスだ。
誰にだってある、心のざわつき。
その奥に、本当の「やりたい」が隠れている。
だから私は、今日も胸がざわついた誰かを見つけたら、
そっとこう思うようにしている。
「ありがとう。私、まだ夢を持てている」 と。
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