夜になると、ふと問いかけてくる声がある。
「このままでいいの?」
別に嫌なことがあったわけでもないし、大きな問題が起きているわけでもない。
それなのに、布団に入って目を閉じた瞬間に、じんわりと広がる焦燥感。
眠れないほどじゃないけれど、朝まで残りそうな、静かでしつこい不安。
私は40代で大学に編入した。
今でこそ、そういう「動き出した話」ができるけれど、実はこの“夜の声”に何年も付きまとわれていた。
40代。ある程度の経験を積み、仕事にも家庭にも責任がある年齢。
私も一見、順調に見える側の人間だったと思う。
見た目は順調、中身は停滞
それでも。
それなのに。
何かが、足りなかった。
いや、足りないというより、「終わってしまった」ような感覚に近かったかもしれない。
私の人生、もうピークは過ぎたのかもしれない。
これから先は、今の延長線上を静かに歩くだけなんだろうか。
過去の自分に置いてきた「やりたいこと」
私はずっと「現実的」だった。
夢はなかったかと聞かれたら、あった。
だけど、それを「現実にする方法」がわからなかった。
英語が好きだった。
世界とつながる仕事がしたかった。
カフェのような場所を持ちたいとも思っていた。
誰かの役に立つような本を書きたいとさえ、密かに願っていた。
でも、気づいたら、そういう「やりたいこと」は全部、「できるわけない」で片づけて、棚の奥にしまい込んでいた。
その棚、実は壊れていたのかも。
ミッドライフクライシスという名前を知った日
ある日、「ミッドライフクライシス」という言葉をネットで見つけた。
直訳すれば「中年の危機」。
なんて嫌な響きだろうと思ったけれど、読み進めるうちに、私はそれが“自分のこと”かも知れないと思った。
キャリアも家庭もある程度整っているのに、漠然とした不安に襲われる
この先に希望が持てない
今から何かを始めても遅いと感じる
でも、このまま何もしないのはもっと怖い
「このままでいいの?」の正体はこれだったのか。
それでも動けない理由
不安はある。でも、すぐに行動できるわけじゃない。
それが40代の難しさだと思う。
若いころなら、勢いで「やってみよう!」と飛び出せたかもしれない。
でも、今は背負っているものが多い。
家族の生活。子どもの進学。親の老い。
失敗が怖い。リスクを取れない。
「変わりたい」という想いにブレーキをかけてしまう。
だけど、それでも——。
私が大学に編入した理由
決断するまでには、何年もかかった。
思い切って願書を出したときも、「まさか自分が本当に受かるなんて」と半信半疑だった。
周りに話すのも、少し勇気がいった。
だけど、いざ通い始めてみたら、世界は変わった。
クラスメイトは全員年下。でも、彼らの中に飛び込むことで、自分のなかに眠っていた「好奇心」が呼び起こされた。
論文、インタビュー、プレゼン…。大変だけど、楽しい。
何より、自分が「まだ伸びる」と実感できた。
やりたかったことを「今さら」と思っていたけど、
やってみたら、「今だからこそできた」のかもしれない。
「このままでいいの?」は、心からのSOS
今だから思う。
夜に聞こえていた問いかけは、不安や弱さじゃなかった。
それは、ずっと心の奥にいた“本当の自分”が出していたSOSだったのだ。
「もっと違う景色が見たい」
「自分をあきらめたくない」
「本当は、やりたいことがある」
その声を聞かないフリをすることもできた。
でも、私はあの声に向き合ったことで、ようやく自分の人生を「私の手」に取り戻せた気がする。
おわりに
40代というのは、人生の「完成形」ではない。
むしろ、これからが“本番”なんだと思う。
何かを始めたくなる夜は、何かを終わらせたくなる夜でもある。
「今までの私」に別れを告げ、「これからの私」を迎えるタイミングかもしれない。
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