大学生活は私たちにとって、単に知識を深める場所にとどまらず、自己成長を促す重要な場所でもあります。しかし、その学びのアプローチやその過程で得られる経験は、年齢を重ねると大きく異なります。若い頃に通った短期大学と、40代になってから入学した4年制大学では、学び方、感じ方、そして学びの意義において大きな違いがありました。
このブログでは、私が19歳の頃に学んだ短大と40代で学んだ大学生活を比較し、若い頃と中年以降の学びについて考察したいと思います。
短大時代:遊びと自己探求の過程
18歳の私が選んだのは短期大学の国文科でした。国文科を選んだ理由は、特に深い理由があったわけではなく、むしろ直感的な選択でした。多くの同級生が家政学科に進学する中で、私は少し異なる道を選びたかったという思いが強かったのです。特に、当時の自分にとって学問や勉強に対して深い関心を持っていたわけではなく、「なんとなく決めた」というのが正直なところでした。
当時は、学びよりも「大学生活そのものを楽しむ」ことが優先されていました。勉強は二の次、三の次で、友達との交流に力を入れていました。学生時代の目標は、どれだけ楽しい時間を過ごせるかに集中していたように思います。
国文科に入学しましたが、少し複雑な思いがありました。高校時代、私は英語が得意ではありませんでした。中学時代は英語が好きで成績も良かったので、英文科に行きたくて高校3年の途中までは英語の受験勉強をしていたのですが、成績が思うように伸びず、国文科に方向転換しました。英文科を諦めて間もなくして英語の成績がぐんと上がりました。担任の先生にも何故英文科を受けないのかと言われたほどでした。学力は一定時期を超えると急に伸びることを知ったのは国文科へ方向転換する決心をした後でした。まぁ簡単に諦めてしまえるぐらいの容易い意志だったのだと思います。そして、国文科を受験し入学しました。
国文科に決めたので、進学する短大を選ぶ際も特に深い理由はなく、「授業料が安く、自宅から通いやすい」「お嬢様が少なく、自由な雰囲気の短大を選びたい」といった漠然とした理由で決めました。
自分の価値観や未来について深く考えることなく、ただ目の前の楽しさを追求していた時期だったと言えます。もちろん、この時期の経験はその後の人生において重要な基盤となった部分もありますが、学問に対する本気度は決して高くなかったのです。
40代からの大学生活:学問への真剣な探求
40代になってから、私は再び大学に通うことになりました。若い頃に短大に通っていた時には、大学生活を「遊び」として捉えていましたが、40代で通った大学では学問に対し真剣でした。
受験勉強や入学試験自体に対する強い興味があり、必死に受験勉強をしました。入学してからも、大学のシラバスを見て、どの授業も面白そうで、「全部取りたい!」と思うほどでした。
そのため、授業が始まった当初は、すべてが新鮮であり、非常に興奮していました。しかし同時に、現代の大学の授業スタイルや内容に慣れるのに苦労しました。特に、ディスカッションやグループワークは、当初は非常に難しく感じました。自分の考えをどう表現するか、どう言葉にするかに悩みました。以前の自分では想像できなかったような、内面的な葛藤や学びの深さに直面することとなりました。
大学生活を通じて一番感じたことは、「自分の意見を持つこと」「その意見を他者に伝えること」の重要性でした。大学ではその問題に正面から向き合うことができました。
ディスカッションやプレゼンテーションでは、他の学生との意見交換が求められ、しっかりと自分の考えを述べ、それを理解してもらうための力を養うことができました。最初は、自分の考えがうまく言葉にできず、非常に辛かったのですが、次第にその過程が楽しく感じるようになり、自己表現に自信を持てるようになりました。
また、研究や卒業論文の執筆を通じて、学問への真剣な探求心を持つようになりました。若い頃、勉強を通じて得た知識はどこか表面的であり、真剣に学問に取り組むことの重要性を痛感したのです。卒論の執筆を通じて、自分の思考を深め、理論と実践を結びつける方法を学びました。この過程で、自己表現だけでなく、他者と協力して成果を出す力も身につけました。
学びの本質と自己表現の力
大学で学んだ重要なことは、「自分の意見を持ち、それを伝える力を養うこと」でした。特に、現代の大学では、ディスカッションやグループワークを通じて、他者とのコミュニケーション能力が非常に重要視されます。自分の考えをしっかりと述べ、それを相手に理解してもらうことが求められます。これは、社会に出てからも非常に役立つスキルであり、私が社会で苦労してきた部分でもあります。
40代になってから大学で学んだことは、非常に大きな自己変革の過程でした。自分の意見を自信を持って言語化する力、そしてそれを他者に伝える力を養うことで、社会でのコミュニケーション能力が飛躍的に向上しました。特に、アイデアが他人に理解されないという悩みや、意見がまとまらないという苦しみを、大学での学びを通じて克服できたことは非常に大きな成果でした。
世代間の違いと学びの意義
私たちミドル世代は、若い頃、自己表現や内面を見つめることに対してあまり積極的ではなかった世代だと思います。社会に出てからも、自分の意見をしっかりと伝える力が不足していると感じることが多かった世代なのではないでしょうか。私は大学で学ぶことを通じて、自己表現の大切さや自分の意見を言語化する力の重要性を学び、それを実践することで、社会においても大きな変化を感じるようになりました。
特に、現代社会においては、チームワークやコミュニケーション能力が非常に重視されています。自分の意見をしっかりと伝えることができる人は、職場でもアイデアを通しやすく、より多くの人々に影響を与えることができるのです。大学で学んだことは、社会に戻ってから非常に役立っています。
結論
短大時代と大学時代の学びを比較すると、年齢や立場によって学びの深さが大きく変わることがわかります。若い頃は遊びを中心として大学生活を送っていましたが、ミドル世代で大学に再度通うことで、学問への真剣な探求心や自己表現を重視するようになり、社会でも役立つスキルを身につけました。
大学での学びは、年齢に関係なく、自己成長を促す貴重な機会であると実感しています。特に中年以降に学ぶことによって、人生経験を生かしながら、新たな視点で学びを深め、社会に貢献できる力を育むことができると感じています。
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